山本毅雄の略歴
生育歴:
- 1939年中国東北部(遼寧省瀋陽市)生。
- 6才のとき当時の奉天省(現在の遼寧省)康平県で終戦。鉄嶺市で10ヶ月ほど難民生活。
- 1946年6月引揚げ、母の郷里であった鹿児島県(曽於郡大崎町)で育つ。
学歴:
- 1958年、鹿児島県立志布志高等学校を卒業して東京大学教養学部理科T類入学、いわゆる安保世代である。
- 1962年東大理学部化学科卒、引き続き大学院へ進学。
- 1967年東京大学大学院(理学系研究科化学専門課程)博士課程修了(理学博士)。
- 学部から大学院まで、一貫して藤原鎮男先生の指導を受ける。
職歴:
- 1967年、東京大学理学部(化学教室分析化学研究室・・・藤原研)助手(1972年まで)。
- 1967-1969年、米国ノースカロライナ大学化学教室に博士研究員として留学。ちょうど学園紛争の激しい時期を海外で過すこととなった。
- 1972年、東京大学大型計算機センター(研究開発部)助教授となる(1981年まで)。
- 1981年、2期生の入学とともにつくば市の図書館情報大学教授、2001年まで勤めた。
- うち1995年から1999年、同副学長。
- 2001年、図書館情報大学より国立情報学研究所へ配置換、図書館情報大学名誉教授。
- 2001年から2005年まで、国立情報学研究所教授(情報検索研究部門)、研究主幹(情報メディア研究系)。
- 2002年から2005年まで、総合研究大学院大学(情報学博士課程)教授を併任。
- 2004年から、東洋文庫研究員(客員)、現在に至る。
- 2005年、国立情報学研究所を定年退職、同名誉教授。
- 2006年から、京都情報大学院大学客員教授(2007年まで)。
- 2006年から、東京理科大学非常勤講師、現在に至る。
- 2007年4月、サイバー大学教授(IT総合学部)に就任。
仕事歴:
- 化学の研究(プロトンNMR、銅NMR、溶液化学)1963-1969
- 情報検索システム(TSIR-1、TOOL-IR)研究・開発(1969-1975)
- DBMSの日本への紹介(1972-1980ごろまで) ACM TODSのEditorial Advisory Boardメンバー、情報処理学会データベース研究会の創立メンバー・幹事など。
- 文献データベースサービスTOOL-IR(1975-1981、本格的なものとしては日本最初)
- 東大大型計算機センター(現在、情報基盤センター)で、TSS、オンラインファイル利用、電話回線端末、ソフトウェアパッケージなど、当時日本で必ずしも人気のなかった種々の新サービスの導入・開発・普及につとめた(1972-1981)
- 図書館情報大学(のち筑波大学に統合)の創立準備に参加、最初1年は非常勤講師、のち教授として学部・専攻科・修士課程(と最後ちょっと博士課程)を教えた。一時副学長。同大学の図書館業務システム(LIAISON)の開発を主導。
- その間、NIIの前身である学術情報センター、国立民族学博物館、国文学研究資料館をはじめ、多くの(主として国公立)情報センター・計算センター・図書館等の情報機能の設置計画・運営コンサルティングにかかわった。
- 情報システム研究の必要性を感じ、情報処理学会情報システム研究会の創立メンバー、幹事・主査など。
- 国立情報学研究所では、ディジタルアーカイブ、電子読書システムを研究。ディジタル・シルクロード・プロジェクトに参加、東洋文庫所蔵のシルクロード研究関係貴重書のディジタルアーカイブを作成。また、2002-2005年は、総合研究大学院大学(情報学博士課程)教授として講義、研究指導(副指導のみ)に当った。
- 東京大学大学院(情報科学専門課程1981-1990)、慶應大学(化学科1981-1990)、中山大学(計算機学科1985)、東京理科大学(2006-)等で非常勤講師。
仕事上で現在興味を持っていること:
ディジタル・アーカイブ、シルクロード研究のITによるお手伝い、多言語シソーラス構成、電子読書システム、日本における情報システムの歴史、英日翻訳・通訳。
私的なこと:
既婚。娘二人。
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(C)opyright 2005, 2006 Takeo Yamamoto; Last updated 2006-12-02; 山本毅雄へのメッセージ